院長プロフィール

氏名 南波 利宗(なんば としむね)
出身地 東京都杉並区浜田山
経歴 明治鍼灸大学 鍼灸学部卒業
明治国際医療大学 鍼灸学大学院修士課程修了
国家資格 はり師、きゅう師、柔道整復師
その他資格 登録販売者(第2類までの医薬品を売れる資格)
学位 鍼灸学(修士・学士)

ご挨拶

導入|この考えに至るまでの話です

今、私が治療の中で一番大切にしているのは、
「痛みを取ること」よりも、安心してもらうことです。

体に痛みや不調があるとき、
人は自然と自分を追い込みます。

「早く治らなきゃ」
「周りに迷惑をかけちゃいけない」
「このままじゃダメだ」

そう思えば思うほど、
体も心も、どんどん緊張していきます。

私は、そんな状態のまま
一生懸命“治そう”としている人たちを、
たくさん見てきました。

そして同時に、
かつての私は、
その人たちを“治そうと必死になっていた側”の人間でした。

だから今、
まず安心できること。
ここに来ると、少し力が抜けること。
「この先生なら、急がなくていいかもしれない」と
思ってもらえることを、治療の土台にしています。

でも、最初からそう考えていたわけではありません。

むしろ私は、
「正しく治すこと」
「結果を出すこと」
に、強く縛られてきました。

ここから先は、
今の考え方にたどり着くまでの、
私自身の迷いと失敗の話です。


第1章|一生懸命だった。でも、どこか苦しかった

大学を卒業して最初の4年間、
私は大手の鍼灸整骨院グループに勤めていました。

毎日たくさんの患者さんを診て、
筋肉をほぐして、
痛いところに鍼をする。

当時は、
「痛みは筋肉が硬くなるから起こる」
と本気で信じていました。

施術のあとに
「すごく楽になりました」
「動かしやすいです」
と言ってもらえると、
正直、とても嬉しかったです。

「鍼灸師になってよかった」
そう思える瞬間も、たくさんありました。

でも、
何度も通ってくれている方から、
こんな言葉を聞くようになりました。

「そのときは良かったんですけど…」
「家に帰ると、また元に戻っちゃって」

その言葉を聞くたびに、
胸の奥が、少しずつ重くなっていきました。

「もっと何かできるはずなのに」
「自分の治療が足りないんじゃないか」

そう思って、
ストレッチを加えたり、
体を鍛えることを勧めたり、
体のバランスを見るようにもなりました。

それでも、
良くなる人もいれば、
なかなか変わらない人もいる。

一生懸命やっているはずなのに、
どこか報われない。

その頃の私は、
患者さんの前では笑顔でも、
心の中ではずっと焦っていました。

「どうして良くならないんだろう」
「自分のやり方が間違っているのかな」

その違和感から目をそらせなくなり、
私は東洋医学を学べる鍼灸院へ転職しました。

体の一部分だけを見るのではなく、
全体の流れや、その人そのものを見る考え方。

「これなら、もっと深く関われるかもしれない」
そんな期待を持って、臨床に向き合いました。

実際、
それまで変化が出にくかった方が
少しずつ回復していく場面もありました。

「やっと見つけたかもしれない」
そう感じた瞬間も、確かにありました。

けれど、
すべての人がそうなるわけではありませんでした。

治療した直後は楽になるけれど、
外に出たらすぐ戻ってしまう方。
数日しか変化が続かない方。
中には、
「正直、あまり分からないです」
と言われることもありました。

そのたびに、
自分の中で何かが削られていく感覚がありました。

「筋肉でもない」
「体全体を見ても、まだ足りない」
「じゃあ、何が起きているんだろう」

そんな問いが、頭から離れなくなりました。

やがて私は、
その人がどんな生活をしているのか、
どれだけ無理をしているのか、
体が本来持っている回復する力と、
日常の負担の大きさの差に、
目が向くようになりました。

それでも当時の私は、
どこかで
「鍼灸で何とかしてあげたい」
「ここまで来たんだから、良くならなきゃいけない」
と、力んでいました。

今思えば、
その“力み”が、
患者さんにも、自分にも、
重荷になっていたのかもしれません。

開業してからは、
これまで学んできたことをすべて使って、
できることは何でもやりました。

それでも、
どうしても変わらない方が増えていった時期があります。

その頃、
私は何度も
「鍼灸師をやめたほうがいいんじゃないか」
と思いました。

診療が終わったあと、
スタッフに
「今の自分では、この方を支えきれない」
と伝えることもありました。

情けなくて、
苦しくて、
それでも答えが見つからない。

そんな中で、
ふと浮かんだ問いがありました。

「治療のやり方を変える前に、
自分自身のあり方を、
変えなきゃいけないんじゃないか」

この問いが、
私の中で静かに、でも確実に、
次の扉を開いていきました。


第2章|痛みに囚われていたのは、患者さんではなく自分だった

慢性的な痛みや不調を抱えている方と向き合う中で、
私はずっと、こう感じていました。

「この方は、痛みに囚われている」
「だから、なかなか良くならないんじゃないか」

痛みのことばかり考えてしまう。
先の不安が頭から離れない。
「このままずっと治らないんじゃないか」と思ってしまう。

そういう状態を、
何とかしてあげたい。
そこから抜け出させてあげたい。

そう思って、私は必死でした。

でも、ある時ふと、
自分の中に強い違和感が生まれました。

「本当に、囚われているのは患者さんなんだろうか?」

治療のたびに、
「どうすれば良くなるか」
「次は何をすれば変わるか」
「まだ足りないんじゃないか」

そう考え続けていたのは、
他でもない自分自身でした。

痛みを何とかしなければ。
良くさせなければ。
変化を出さなければ。

その思いが強くなればなるほど、
私は知らないうちに、
患者さんを“治す対象”として見ていたのかもしれません。

良かれと思ってかけた言葉。
一生懸命考えた生活のアドバイス。
「これをやれば良くなるはずです」という提案。

それらは本当に、
相手のためだったのか。
それとも、
「良くなってほしい」という自分の不安や焦り
ぶつけていただけだったのか。

そう考え始めたとき、
胸の奥が、ぎゅっと苦しくなりました。

患者さんは、
それぞれの人生を一生懸命生きています。

仕事をして、
家庭を支えて、
人に気を遣い、
無理を重ねて。

その結果として、
体の不調や痛みが出ている。

それ自体が、
「弱いから」でも
「間違っているから」でもなく、
頑張ってきた証だったんだと、
ようやく気づきました。

体が持っている力よりも、
生活の負担の方が大きくなれば、
不調が出るのはとても自然なことです。

それは、
体だけの問題ではなく、
心や環境、人生そのものが関係しています。

それなのに私は、
その“自然な反応”を消そうとして、
必死になっていた。

そこに、
一番苦しんでいた自分がいたんだと思います。

この気づきは、
私にとってとても大きなものでした。

「痛みを取らなきゃいけない」
「ゼロにしなきゃいけない」

その考えから、
少しずつ距離を取れるようになりました。

すると、不思議なことに、
自分自身にも、患者さんにも、
「今はこういう状態なんですね」と
言えるようになっていきました。

向き合いたくないときは、
「今は向き合いたくないですよね」
と、そのまま受け止める。

深刻になりすぎず、
でも軽く扱うわけでもなく、
真剣に、一緒に考える

そんな関わり方が、
少しずつできるようになっていった気がします。

「先生、分かってくれるから」
「ここに来ると、少し安心します」

そう言ってもらえることが増えたとき、
私はようやく思えました。

自分がなりたかったのは、
すごい治療をする先生ではなくて、
お守りのような存在だったんだ、と。

痛みがあってもいい。
不調があってもいい。
それでも安心できる場所。

当院の理念が
「痛みを取ること」ではなく
「安心の共有」だったことに、
私はここで立ち返りました。

この心持ちで臨床に立つようになってから、
治療の方法を変えなくても、
体に変化が出る方が増えてきたのも事実です。

それは、
技術だけの話ではなく、
人と人との関係性の中で
起きている変化なのかもしれません。

そしてその関係性は、
患者さんだけでなく、
施術者自身にも
「大丈夫」と思える余白を与えてくれます。

そんな安心できる存在が
身近にいることに気づけるかどうか。

それが、
治療を受ける側にとっても、
治療をする側にとっても、
とても大切なことだと、
今は感じています。


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